1%のシェアを取り合うより、みんなで2%にする方がいい。(前編)

INTERVIEW

ヤマロク醤油 五代目 山本康夫
香川県の小豆島にもろみ蔵を構える、ヤマロク醤油。木桶仕込みの醤油の伝統を後世に伝えるべく、五代目の山本康夫さんは醤油屋の枠を越えて活動しています。地域や産業を巻き込みながら取り組む様子は話題を呼び、わざわざ海外から見学者が足を運ぶほど。今、ヤマロク醤油の活動は「うねり」となって、食の現場に共感と参加を生んでいます。d47食堂のディレクター相馬が、山本さんに、じっくりとお話を伺いました。


※このインタビューは、d47 MUSEUM「NIPPONの47人 2016 食の活動プロジェクト」展のために行われたものです。

【 今、本物の食がなくなっている。 】

相馬夕輝: 2015年の夏には、醤油をつくっているもろみ蔵にもお邪魔させていただいて、ありがとうございました。小豆島は、絶対に取材して回りたいと思っていて、僕が自宅で使っている醤油「鶴醤(つるびしお)」のヤマロク醤油さんにも、伺うことができました。

山本康夫: こちらこそ、わざわざ遠いところから、ありがとうございました。以前から、ヤマロク醤油をご存知だったんですか。

相馬: 2012年に僕たちが「d47食堂」を始めるときに、全国にどんな醤油があるのかといろいろ試していて、そのときに手に入れたのが「鶴醤」だったんです。当時は、再仕込みの製法のことも、醤油づくりの背景もよく知らなかったんですが、そんな当時の僕でも、「あ、これは、ずば抜けておいしい!」と思えました。d47食堂では、全国各地の料理に合わせて、その土地の調味料などを使っているので、香川の定食をつくるときには、この醤油を使いたいな、と思ったのが始まりです。

相馬: さて、今回僕たちが開催している「 NIPPONの47 2016 食の活動プロジェクト」展は、47都道府県それぞれの、食の分野で新しい活動をしている生産者の方々にご参加いただいています。醤油のつくり手が、木桶まで自分たちでつくり始めたという山本さんのような方が、実は全国各地にいるのではないか、と思ったことが、この企画のきっかけだったんです。ものづくりを続けていくために、周辺の環境を誰かが支えていかなくちゃならない、という状況で、自らが立ち上がるという動きが新しいと思いました。その活動に、地域の人たちが関わって支えていく、という状況を都道府県ごとに見られたら面白いなぁと。だから、山本さんはキーパーソンなんです。

山本: ありがとうございます。今、いろんなところで、本物の食がなくなりつつあると思うんです。まず、発酵調味料自体がなくなってきている。食材も効率重視になってしまって、きちんとした食品は本当に少なくなっています。それに、ちゃんと考えてつくられたものって、手間と時間がかかる割になかなか売れないんです。安い商品と比べると、圧倒的な金額の差があるので、手に取ってもらえないんですよね。

相馬: そうですよね。僕たちは、息の長い商品を販売しようという考えで店をやっているんですが、案外、その商品をつくるのに時間がどれくらい流れているのかという意識を僕自身が持っていなかったということに、ヤマロク醤油のもろみ蔵に伺って、気づかされました。

山本: うちの醤油、大豆を蒸して、仕込みをしてからでき上がるまでに4年かかってますからね。その後、搾って瓶詰めして出荷するのに、さらに1カ月。

相馬: はぁぁ。

山本: うちは、特に長いんですけどね。今、多くの醤油は、タンクで3カ月でつくられています。この製法だと色が薄くて塩辛い醤油になるんです。辛くて旨みの少ない醤油は、すぐできます。でも、成分分析すると、旨み成分の総含有量は、そこそこある。

相馬: それは意外です。

山本: 一方で、ある研究では、木桶で長く熟成すると、グルタミン酸の生成が2割ほど多くなることがわかったそうです。成分分析の機械では、たくさんある旨み成分一つ一つの内訳は分からないんですが、人の味覚で感じる旨みは、グルタミン酸が多い方が確かに強くなる。木桶ではコクやまろやかさも増すんですが、それって数字には出ません。だから、分析結果だけ見ると、タンクで3カ月でつくる方が、効率がいいって話になる。化学調味料を入れないでつくる醤油は、まだまだ普及していなくって、つくり手の数も少なくなっているというのが、今の状況なんです。

相馬: そういうこともあって、木桶をつくる人も少なくなっているんですね。

山本: そうですね。木桶でつくる天然醸造の醤油の生産量は、全体の1%もない。醤油や味噌の木桶って、100年程もつので、桶を一つつくると、次の仕事は100年後っていうことなんです。大阪の堺に、木桶をつくれる桶屋さんがあり、今はこの一社が残っているだけ。兄弟三人で桶をつくっていて、この三人がいないと、桶はつくれない。そして、その三男が今年63歳です。縦横2メートルの桶をつくるのは、体力的に限界だと。この桶屋さんは2020年に廃業すると言っています。ここがなくなると、木桶でつくる醤油、味噌、みりん、お酢、酒が日本中でつくれなくなるんです。私たちが生きている間は、どうにかつくっていけるかもしれないけど、今後、50年から100年のうちに、木桶が寿命を迎える。息子や孫の代に、和食の基礎調味料である醤油の「本物」が消えてなくなるんです。タイムリミットは近づいています。

【 孫の世代に、伝えていかないと。 】

山本: 実は日本では戦後、新桶(しんおけ=新しい桶)をつくったのは2000年が最初で、それまで一つもつくっていないんです。補修をしたり、漏れ止めをしたりする以外、桶の仕事がないので、桶屋は中古のホーロータンクの売買と木工所をやりながら技術を残してきた。そんな中、2000年に長野の酒蔵「枡一市村酒造場」さんが、「桶仕込みを復活させよう」と桶屋さんに発注したのが、酒蔵として戦後初の新桶だったそうです。その位、新桶ってつくられないんですよ。うちも銀行から目一杯借金をして、2009年に9本つくってもらったんですが、その後、堺の桶屋の廃業予定を知り、2012年から地元の大工と一緒に、桶づくりを学ぶようになりました。

相馬: 地元の大工さんも巻き込んで、自分たちで桶がつくれるようになるというのは、完全に醤油蔵の範疇を超えていますよね。ちなみに、新桶1本っていくら位するんでしょう。

山本: 200万円から500万円くらい。いい材料を使うほど、高くなりますよ。

相馬: その費用を、瓶詰めの醤油で回収しようとすると果てしないですよね。

山本: それは、無理ですね(笑)。今までに買った桶を何年で償却できるか計算してみたんですけど、100年かかるんです。ですから、醤油屋が新桶を買って醸造しても、一代では割に合わないんですよね。自分の代のことだけ考えたら中古の桶を使えばいいんですけど、子や孫の世代のことを考えたら、無理してでも新桶を入れなくちゃだめなんです。

相馬: そうですよね。古くから使っている桶には、びっしりと酵母菌や乳酸菌がついてるでしょう。新桶にちょっとずつ菌がつき始めているのを想像すると、ものすごく未来を感じるんですよね。あぁ、だんだんと変化していくのか、と。

山本: まぁ、新桶にびっしりと菌がつく前に、私は墓に入りますけどね(笑)。あとはもう、孫の世代に伝えていかないと。

→後編につづきます。


山本康夫(やまもと・やすお)
ヤマロク醤油 五代目。1972年、小豆島生まれ。大学卒業後、佃煮メーカーの営業職を経て、小豆島にUターン。家業のヤマロク醤油を継いだ。毎年1月、仲間と木桶づくりに励んでいる。新桶には、息子2人の名前を刻印し、子や孫の世代まで受け継がれる醤油づくりを実践。もろみ蔵を公開し、木桶仕込みの魅力を小豆島から伝えている。
yama-roku.net

相馬夕輝(あいま・ゆうき)
D&DEPARTMENT PROJECT 代表取締役社長、d47食堂ディレクター。 1980年、滋賀県生まれ。2003年 D&DEPARTMENT PROJECTに参加。 大阪・東京店店長の後、2009年より代表取締役社長。d47食堂のディレクターとして、各地の生産者を取材、伝統料理や旬の食材を実際に味わい、収穫や漁にも同行、その県を丸ごと味わえる定食を、料理人とともに開発。
www.d-department.com


d47食堂に木桶がやってきた!
今回お話を伺った山本さんが中心となって取り組む「木桶職人復活プロジェクト」。そこでつくられた新桶を、特別に展示しています。

期間:2016年2月4日(木)~3月6日(日)

〈レポート〉ヤマロク醤油の「木桶職人復活プロジェクト」も、ぜひご覧ください。