d47 MUSEUM第24回企画展「Fermentation Tourism Nippon~発酵から再発見する日本の旅~」展のオープニングイベントとして、会期初日4月26日にトークショーを開催。本企画展キュレーターの小倉ヒラクさん、事業プロデュースの小野裕之さんをお招きし、d47 MUSEUM館長の黒江が聞き手となり行いました。その後編をお送りします。 <前半はこちら>
ー「あざら」に学ぶ「文化を生きたものにし続ける」ということー
ヒラク:ところで、十和田市の方に、『「ごど」がブレイクしたらどう?」とか、『子供と一緒に食べる「ごど」が流行ればいいね』というなことを生産している方に伝えたら、ニヤッと笑っていました(笑)。
黒江:つくり手の方は流行ることや、広まって行くことが嬉しいと感じていらっしゃいますか?
ヒラク:ということもあるけれど、それよりもつくる人がいなくなるのが寂しいと思われているようです。
黒江:なるほど。このような多様な発酵食品の中で、将来的に無くなってしまいそうなものはかなりあると思うんですが、それに関して私たちができることはなにかあるでしょうか。
ヒラク:僕が思っているのは、「自分がつくれるようになる」ということかな。一番苦労する答えになってしまった(笑)。だけど、僕が知ってればさ、最悪僕が死なない限りは伝えることができるからね。
小野裕之(以下小野と記載):極論だね(笑)。
ヒラク:うん。でも実際、今回沢山のものを自分でつくってしまった。僕は旅の途中で時々家に戻るんだけれど、家にいる時ずっと発酵の仕込みをしているという日常です(笑)。
大阪府、小倉ヒラクさんが実際に再現した「守口漬け」
「自分でつくる」ということに関して、具体的な例を紹介すると、宮城の「あざら」が挙げられます。これは宮城の気仙沼にあるもので、「メヌケ」という深海魚のアラの部分と、腐って酸っぱくなった白菜、それから、放置しすぎてカピカピになった酒粕を混ぜて作る料理になります。
黒江:すごい食材ですね。必ずその食材じゃないとだめなんですか。
ヒラク:いや、もともとの発祥として「捨てるよりは」みたいな感覚だそうです。ただ、本来はメヌケを使う料理なんだけれど、震災以降は気仙沼でメヌケがあまり水揚げされなくなり、「あざら」自体もつくられなくなってしまった。その危機の時に仙台にある「のんびり酒場ニコル」では、主人がおばあちゃんに「あざら」のつくり方を学ぶんです。注目すべきことは、メヌケではなく、タラを使って再現していることです。「メヌケを使うこと」が大事なことではなくて、「なぜ“あざら”をつくるのか」ということが大切と言っていました。つまり「どうやってつくるか」ではなくて「なぜつくったのか」ということに注目しなければいけないということ。何かを無駄にしたくない、といったようなコンセプトはすごく大切で、それに一番再現しやすいのがタラだったんです。
僕はそれを聞いた時に感銘を受けて。大事なことは「文化を保護の対象にする」ことではなくて「生きたものにし続ける」ということだと思うんです。?「あざら」を保護しようとすると、変な方法でメヌケを獲ってくることになる。それは製法は守っているけれども、果たして「生きた文化」と言えるだろうのか。無理してその食文化を保護するくらいならば、材料の魚はタラでいいよね、ということがとても大切なんですよ。ちなみにタラでつくった「あざら」は、すごくワインに合うんです。和製ブイヤベースだって盛り上がっちゃって。新しい可能性じゃないかって話し合ったんですよ。「あざら」が宮城の新しい食のスタンダードになる可能性もあるだろうね。
宮城県「あざら」
黒江:工芸なども同じように、スタイルを守ろうとするより、技術を発展・継承させていこうとする方が結果的に進化していくってことになりますよね。
ヒラク:そうだよね。だけれど実際は、それをわかってくれない業界的な縛りがあるのも事実。「これは◯◯塗りでは無い。」というようなこと言われてしまって、、、。何を守って何を変えなければいけないかということ、それを「あざら」から学びました。
小野:スタイルよりコンセプトってことだよね。スタイルって時代とともに条件が変わっていくので。なんでそれをつくったのかというコンセプトを大事にすることが必要だと思う。
ー文化を紡ぐものは、自然と人との適切な距離感ー
黒江:話は戻りますが、特に印象に残っている発酵食品はありますか?
ヒラク:特に、というとハタハタのおばぁちゃんたちです。ハタハタは、漁の時期が1週間とか2週間だけにも関わらず、取れる時はそれだけの期間でものすごく取れる。箱がいくつあっても足りないんだよね。会場入り口で流している動画に、ハタハタを仕込むおかあさんたちが出てくるんだけど、あれ実は0.6倍速くらいにしてます。等倍にすると早くて気持ちが悪い(笑)。ハタハタって漢字では神の魚と書くんですね(鰰)。面白いのは、実際に神がかるのは魚じゃなくて人間の方だったという(笑)。でも本当に神がかり的なテンションで動いていて、ハタハタが来たら嬉しすぎて動きが早くなっちゃうんだよね。みなさん60歳を越えてらっしゃる!例を挙げると、インドネシアのバリ島、ケチャに居合わせた感覚。わかるかな?
秋田県「ハタハタ」を仕込む様子
他もう1つくらい挙げるとすると、岡山の「ママカリ寿し」。これは、サッパという魚を酢漬けにしてお寿司にするというものです。これを取材しに行ったのが「天坊」という割烹、そこの大将がすごく発酵が好きで、ママカリだけでなく豆腐ようなどもつくっちゃう。
特に大将が言ってたのが、うおじま(魚島)と呼ぶ漁のこと。岡山の日生という地域は、入江の街になっているんだけれど、5、6月あたりにその入江にサワラやサッパが一斉に押し寄せてくる。その群が島みたいに見えるから地元の人はウオジマっていうそう。魚の島と書いて「うおじま」。うおじまが来たら一年の始まりなんですね。「ウオジマが来たぞー!」「よっしゃ、漁だ!」みたいな、お花見に相当するような騒ぎなんです。だけれども、最近魚島はこない。きたとしても島に見えるほどは集まらない。なぜですかって聞くと、どうも、「下水処理が完璧になりすぎた」ということらしくて。昔だったら生活排水を適度に海に流していて、匂いも臭かった。でもそういったところには栄養があってプランクトンが発生するから、魚はその栄養を食べに来るんです。今は基準も厳しくなり、生活の栄養排水が水に流れない。そうすると「うおじま」は来なくなってしまったらしい。ある意味では正しいし、仕方のないことだけど寂しいですよね。
ー「開かれている」発酵だからこそ、関わり方は無限にあるー
小野:僕は別の視点からお話しさせてください。僕は今、現代において、日本人とはなんなのか、グローバル社会とは何なのか、そういうところに少なくとも不安があると思っています。その中で一つの足がかりとして発酵の話を聞いていて、発酵って要は土地に根ざしているところがあるじゃないですか。気候に根ざし、地形に根ざしている。僕は、発酵について日常的に関わっているわけではないけれど、発酵文化を楽しんでる人がいて、発酵食品好きがいて、そういう人がいるってだけで安心する。例えば宗教とかも特殊性があって、個人が共通の考えを持たなければいけないというようなことがありますよね。でも、それにはすごく違和感があるじゃないですか。そういうこととは別に、発酵は単に「食べたら美味しい」。より生活に根ざした八百万の神を感じる。それがどうも僕にとっては非常に安心する。たまには伝統を受け継いでくれる人が見つかればいいし、見つからなくても、形を変えて保護していけばいい。僕らだって、担い手になったり継手になったり語り部になったりできる可能性は無限にあるなと思います。
ヒラク:いきなり視点がすごく引いたね(笑)。
ヒラク:今回の旅では、歴史というものを捉える時に、神の視点で捉えるか、神の視点に行かないところで考えるか、ということを考えるようになりました。ある意味時代の必然性を考える時に、例えば「あざら」で紹介した酒場の主人は、あざらが滅びるか滅びないかは自分次第だって本気で思っているんですよ。その熱量というのは、現実を本当に変えていくだけの力がある。時代がコンビニエンスに向かっている中で、例えば栄養のカプセルサプリメントとかができると、人間はもう何も食べなくてもいい、という方向になりますよね。
ただ、時代がそうなっていくから、仕方なくフィットすることもできることはできる。だけれど、それが本当にいい生き方なのかって僕は思います。大事なものを自分以外に伝えることで歴史は変わるかもしれないと考えて、行動している人たちがいるんだよね。自分が信じれば世の中の何かが変わる可能性があるということは、今回の旅ですごく思ました。大きな社会に押し流されていく人たちとは違うものを作れるのかな、という後押しを学んだ気がします。
日本の風土感からしても、客観的に正しすぎるとあまり幸せを感じられないのでは無いかな。例えば、客観性は人生の中で特に職場とかで求められますよね、でも、客観的に正しいことをするけれど、結局は主観や現場活動にグッと来るじゃないですか。そのほうが幸せですよね。発酵は好き嫌いということも含めて、開かれているんだろうなと思います。日本の文化を見た時に、思想や哲学は基本的に「もの」を介してでないと生まれないと思いました。つまり、日本人はデカルトみたいに抽象を抽象のまま掴みにいくのがすごい苦手な民族じゃないかなってことです。SNSなどでも「自分の心のあり方で世界は変わります」みたいな言動があるよね、でも僕はそんなことで変わんねぇよって思ってます(笑)。
小野:そんな抽象的なことを言われても、逆に不安が大きくなるよね。
ヒラク:そうそう。発酵に合わせて考えてみると、発酵は具体的なプロダクトなんだけど、素晴らしいのは具体的なのに見ることができないということ。そこに微生物が介入することによって、存在するけれど見られない、自分たちで発酵をイマジネーションしなきゃいけない。それは日本人の王道のパターンなわけです。「わびさび」のようなもので、プロダクトを生産する時に「なぜ、私はこれをつくるのだろうか」ということで自問自答して、そこで奥深い考えや未来のビジョンが生まれてくる。例えば、間違って机を蹴ってしまった時に「机さん痛かったね」と思う考え方ってあるじゃないですか。これって日本独特だよね。海外だと、「もの」はあくまで「もの」のまま。私たちは「もの」に「もの」以上の考えを付与する。これが日本人の王道の考え方で、僕は発酵もこれでないかと思います。
以上でトークショーも終わりなのですが、僕の方から口頭ではありますがスポンサーの皆さまにお礼を申し上げさせてください。まず初めに、北海道北見の「環境ダイゼン」さん。今回スポンサーを募集した時に一番初めに名乗り出てくださいました。僕が旅に出ることができたのは環境ダイゼンさんのおかげです。また、本日は時間の都合で来られてはいないのですが、愛知県岡崎市の種麹屋さん「ビオック」さんにもこの場をお借りしてお礼を申し上げます。そして、最後にスポンサーを快く引き受けてくださった「カルピス」さん。ご存知の方も多いのですが、カルピスは100年も歴史がある発酵食品になります。カルピスは乳と糖分しか使わないのですが、その分すごくシンプルな発酵の力を生かした商品です。皆さま、ありがとうございました。
会期中はキュレーター小倉ヒラクさんや、事業プロデュースの小野裕之さんによるイベントも開催中です。
【詳細はこちらからご覧ください】
Fermentation Tourism Nippon ~発酵から再発見する日本の旅~
supported by カルピス
2019年4月26日(金)~7月8日(月)※会期中無休/入場無料
会場:d47 MUSEUM
時間:11:00~20:00(最終入場19:30)
主催:D&DEPARTMENT PROJECT
協賛:協賛:「カルピス」(アサヒ飲料株式会社)
株式会社環境ダイゼン、株式会社ビオック・株式会社糀屋三左衛門
協力:ALL YOURS/お問い合わせ:03-6427-2301