d47 MUSEUM第23回企画展 「LONG LIFE DESIGN 1」展関連トークイベントとして、「LONG LIFE DESIGN TALK 2019」を開催。2019年1月27日(日)のゲストには、株式会社開化堂 代表取締役社長の八木隆裕さんをお招きし、本展ディレクターのナガオカケンメイとの対談を行いました。
「LONG LIFE DESIGN1」展の京都代表としてご紹介している開化堂。今回は伝統工芸の「継承」と「進化」について、八木さんが実践されていることも含めてお話いただきました。
まずは、八木さんより開化堂の歴史や現在の活動について。
明治8年(1875年)創業、手づくりの茶筒屋として日本で最も古い歴史を持つ開化堂ですが、その長い歴史の中では経営が困難な時期もありました。第二次世界大戦の際には銅の供出をせねばならず、軒先きでは薬屋を営みながら、奥では茶筒づくりをしていました。
何も教えてもらえないから、自分で考える
父からは「跡を継ぐな」と言われた八木さん。大学卒業後は「京都ハンディクラフトセンター」で3年間販売員を経験。売り場にいた際に、開化堂の茶筒を買われたアメリカ人の方に、何故買ったのか聞くと「お土産じゃなくて、家で使う」と答えられたそう。
そこから「この茶筒は海外でも日常使いしてもらえるのでは」と考え、父に「開化堂を海外でしっかり売りたい」と話しました。「お前が言うほど海外では売れない」と言われながらも、八木さんは開化堂に戻り、まずは職人として茶筒づくりを修行。父は当時、他の職人には教えても八木さんには教えてくれず。とにかく見て覚え、悪かった時だけ言われる。そうすることで、何が悪かったのかを自分で考えるようになり、開化堂らしさを考えるきっかけにも繋がっていきます。
5年程修行をする中で、ロンドンの紅茶店「ポストカード・ティーズ」から販売をしたいと声がかかり、そこから様々な繋がりが生まれていきました。そこから2014年、「ビクトリアンアルバート美術館」のパーマネントコレクションに開化堂の茶筒が飾られることに。
日本を忘れないといけない
そんな海外での活動のなかで、現地での販売では「日本らしい格好をして欲しい」という要望が。そこで、作務衣を着て、雪駄を履いて、いわゆる「日本の職人」として現地の方と接してみるも、八木さんはこれは自分がやりたいことではないと気づきます。あくまで、質の良いものをつくる「クラフトマン」として接した方が、その土地の文化に馴染んで受け入れられる。飾るような伝統工芸ではなく、現地の日常に溶け込むことが必要と実感したそう。
暮らしの道具としての伝統工芸
開化堂のものづくりが、敷居の高い「伝統工芸」としてではなく、現代の「暮らしの道具」としてあり続けることの必要性を感じられています。2016年に「Kaikado Cafe」をオープンしたのもそれが理由。20代の若い世代と出会う場としてカフェを選び、店内で使われるカップなどはいわゆる「伝統工芸」を多く揃えています。が、伝統工芸から入るのではなく、実際に使ってみることで「このカップどこのですか?」という反応に繋がってゆきます。
そんな開化堂の開発中商品には、Bluetooth搭載のオーディオプレイヤーなどが。購入した直後が一番価値があるとされる家電に対して、時が経つことで経年変化していく家電を提案するなど、新しい取り組みも始まっています。
ここで、ナガオカから10個の質問を八木さんへ。伝統工芸について、続けていくためのこと、開化堂らしさとはなど、質問から出たキーワードをまとめていきます。
アーティストと職人の違い
アーティストは自分の代で技術を高めて作品を発表していく作業ですが、「職人」は、過去・現在、そして孫の代まで続く未来という大きな時間軸の中で技術を高め、次の世代へ受け継いでゆくもの。つまり職人とは「祖父や曽祖父達が築き上げてきたものを背負い、そしていずれそれらを孫の代に繋いでゆく」と考えています。そして日々、職人仕事として続けていくには、力を抜いてやる必要があるので、修行しているスタッフには「もっと力を抜いて普通にやってごらん」と伝えているそう。
「根っこ」の部分とは
「開化堂らしさや、続くためにやるべきこと(やってはいけないこと)を考える際、自分たちの「根っこ」とは何かを考えるようにしています。職人は時間軸の中で生きている。例えば、焼き物の窯では祖父の代が掘り出した土を使い、自分が今掘り出す土は孫の代が使うためのものだったりするんですよね。」その時間軸の中が先ほどの職人の話にも繋がってきます。デザインも「根っこ」が大切になってきていて、以前は世に出すためのデザインだったものが、今は先の世代に残してゆきたいかが重要になってきていると話されました。
「つまり大地に植わっているか、植木鉢に植わっているかを考えているんですね」と言うナガオカに対し、「植木鉢に植わっているなら、大地に出よう!と言いますね。」と八木さん。「新しい世代を継いだ人たちは、自分達の考えを持って出て行こうとする時代になっていると思います。」その世代を応援したいと考えられ、仲間の職人と共に無料のセミナーも京都で開催しています。
?
開化堂らしさとは、気持ちのよさ
「開化堂らしさとは、茶筒の開け閉め時の気持ちよさの質です。」と八木さん。この「気持ちよさ」こそが自分たちのアイデンティティであり、時代とともに製品が変化していっても、一貫してその時代に合わせた「気持ち良さ(使いやすさ)」を改良してきたい。この先の未来も、この「気持ち良さ」を見いだせる商品であれば、開化堂として世の中に出して行きたいと考えています。コーヒー缶やパスタ缶は枝葉のような存在で、やはり最後は茶筒を見てもらえたら、と話されました。
「新しい」も変わってきていますか?
「新しいが変わって行くことで、次の新しいが生まれるのでは。」と八木さん。開化堂も100年前には新しい企業でしたが、100年経ち伝統工芸として存在しています。伝統工芸は「新陳代謝」のようなもので、少しずつ変わり続けていたら、気づいたらかなり変わっていたような、、、そこには、脈々とした「根っこ」の活動が続いているからこそ。
このトークショーに参加し、私自身も改めて「伝統を受け継ぐこと」が今の私たちの活動に通じることが多々あるように感じられました。また、これからのd47 MUSEUMとしても「変わらずに守るべきこと」と「時代に合わせて変わること」を様々な視点で見つけていかなければと、非常に勉強になる時間でした。
また、「例えば、知らない人の家を訪れたときに、開化堂の茶筒が机にポンっと置かれていたら嬉しい」という八木さんの言葉からは、特別なものではなく使いやすい「気持ちのいい道具」として存在することの大切さに気付かされました。
会の最後には、参加者の皆様からの質問も多数寄せられました。
八木さんが「京都で」続けてゆく意味は何ですか?
京都はある意味、特殊な環境と言えます。横のつながりが強いので、周りの目が厳しい環境とも言えます。しかし、その厳しさがあるからこそ、適当なものはつくれない。ちゃんとしたものをしっかりとつくり、認められる。すなわち、それが質になるという環境だと言えます。そして、厳しいだけでなく、その“繋がり”という絆があるので協力してくれる。そんな場所だから意味があると思っています。
もしも日本に伝統的なものが何もなくなってしまったら?
今世界的に見ても新しい国というものが確かに存在します。もし日本があのような国と同じようになったら、未来に向けた視点や力というものは、大いに感じられるかもしれませんが、何か行き詰まった時に、背中を押してくれるものがなくなってしまうのではと思います。
伝統工芸をどのように盛り立ててゆけば良いのでしょうか?
その為に行政がお手伝いできることはありますか?
職人が自分の仕事に自信が持てて、やってきたことが価値があると感じられれば、つくり手自身が適正な価格をつけられます。そういう機会を多くしていくことが、ものづくりに関わる人にとって幸せなことだと思います。僕たちは守られたいわけじゃないんです。ちゃんと自立して歩いていきたい。だから、その自立を応援してもらうことが大切だと思います。
最後に、八木さんの「僕たちは世界中に知られる、小さな会社でいたい」という言葉が印象的でした。過去からの「根っこ」を大切に、無理なく、良い製品をつくり続ける小さな会社。八木さんが考える開化堂のありたい姿が、まさに「健やかなデザイン」であるように私には思えました。
この「LONG LIFE DESIGN1」展は、来月3月4日(月)まで。
詳細はこちらからご覧ください。ぜひみなさまお越しくださいませ。