折りたたみ椅子の名作「ニーチェアエックス」。
デザイナーの新居猛(にい たけし)氏が開発し、1970年の発売以来、今では国内外の30ヵ国以上で発売され、愛用され続けています。実はこの「ニーチェアエックス」、一時は製造中止となる危機がありました。
2014年より「ニーチェアエックス」の製造と販売を継承している藤栄の一柳裕之さんに、新居さんの言葉や、ニーチェアエックスを構成するパーツにも注目しながら、「ニーチェアエックス」の魅力を教えていただきます。
話す人 : 一柳裕之(藤栄 取締役/ブランド事業カンパニー カンパニー社長)
1994年藤栄に入社。2010年より、ニーチェアエックスなどの販売にたずさわる。現在はニーチェアエックスを含めた複数のブランドを統括。
聞く人:平田鈴乃(D&DEPARTMENT TOKYO)
学生時代に読んだナガオカケンメイ著『もうひとつのデザイン』がきっかけで、2020年、D&DEPARTMENT PROJECTに参加。初めて自分で買った家具は「ニーチェアエックス」ロッキング。
ニーチェアエックスをつくった新居猛
一柳 私が所属する藤栄という会社は、生活用品、インテリア、家具の商社。平たく言うと問屋です。
ニーチェアエックスも1970年の発売当初から仕入れて、全国の百貨店や家具店に卸していました。ところが2013年、製造元のニーファニチアさんから生産中止を告げられたんです。長年、卸しをしていて、とても良い椅子だと分かっていましたから、「どうして生産中止に?」と事情をうかがうところから始まりまして、最終的に私たち藤栄に製造させてもらえませんか、とお願いし、事業を継承するに至ります。
平田 興味深いポイントは、藤栄さんが製造ラインを持つ家具メーカーではないという点です。実はその立ち位置もニーチェアエックスが続いていくことによい影響を及ぼしていると思うのですが、まずはニーチェアエックスがどんな椅子なのか、デザイナーの新居猛さんのことも含め、あらためて教えていただけませんか。
ニーチェアをデザインした新居猛氏
一柳 実は、私も生前の新居さんに直接お会いしたことがありません。事業を継承するにあたり、新居さんの考えを知るため、たくさん文献を読んだりしました。また、北欧デザインや椅子の研究者でもあり、新居さんと一緒にニーチェアの開発に関わられた島崎信先生にも監修いただいたんです。
武蔵野美術大学名誉教授・島崎信氏
一柳 1920年、徳島県の剣道具店の3代目として生まれた新居さんは、第二次世界大戦後、軍事教育に通じる武道を禁じたGHQの方針で家業が続けられなくなり、木工を習って建具などをつくっていました。1952年に剣道が復活すると、剣道具店と家具販売店を併設する形になりました。
新居さんご自身は家具に強い興味を持たれていて、1956年には木製の折りたたみ小椅子を開発するんです。
家業である剣道具の製造販売をしていたけれど、時代の流れで木工に出会い、家具に興味をもち、以降、ご自身の生涯をかけて折りたたみ椅子を掘り下げていかれます。
「フォールディング・ファニチュア展」の様子
「できるだけ」を追求した、暮らしの道具としての椅子
平田 新居さんは生涯でどのくらい折りたたみ椅子をつくられたんですか?
一柳 15種類を超えると言われています。折りたためる寝椅子などもあるんですよ。
平田 わぁ、多いですね! なぜ新居さんはそこまで折りたたみ椅子にこだわったのでしょう。
一柳 新居さんの晩年、ニーチェアエックスのデザイン管理や監修をされていた島崎さんは、新居さんが椅子づくりについてこんな考え方をお持ちだったとおっしゃっています。
できるだけ少ない部材で
できるだけ簡易な構造で
できるだけ丈夫に
できるだけ少ない梱包費で
できるだけ少ない輸送費で
できるだけ安い価格で
できるだけ良い座り心地で
平田 わぁ、なるほど!
一柳 中ほどの「少ない梱包費、輸送費、価格」のあたりは、1950年ごろ、海外から輸入された椅子の状況からきたものと思われます。当時、ヨーロッパから輸入された椅子は、大きな木枠を使ってガチガチに固定され、輸送費も保管費も高く、当然、販売価格も高かった。
「椅子に座る生活」へと時代が変わっていく中、高級な椅子、もしくは、安くて座り心地の悪い椅子しかなかったため、新居さんは「できるだけ安い価格、できるだけ良い座り心地」の椅子をつくろうと志したんだと思います。
元々、日本には、使わないときは脚を折りたたんで部屋の隅にしまう「ちゃぶ台」や、たたんで片付ける「お布団」が身近。それ以外にも扇子やちょうちんなど小さくなる道具も多くて、元々、日本人はスペースセービング(省スペース)の考えや、合理的に空間を使う感覚があったんだと思います。
ニーチェアエックスは、日本の暮らしから生まれて、日本人がつくった椅子。だから、その特徴が「折りたたみ」ということは、必然的なんじゃないかと感じるほどですね。
平田 ニーチェアエックスは誕生から50年以上たっていますが、今の私たちにも「たためる」機能はすごく合っているなと思うんです。2020年からのコロナ禍では「おうち時間」が増え、なおさら「たためる」メリットを感じました。ショップスタッフとして、東京店にいらっしゃるお客様と暮らしかたについてお話ししていてもそう思います。
一柳 そうですね。実は新居さんご自身がどこまで考えていたかはわからないのですが、折りたたみ椅子には、「座り心地の良さを手軽に持ち運べる」機能もあるんですよ。リビングから寝室やベランダへ、ときにはキャンプへと自由に持っていけることは、コロナ禍をきっかけに注目され、再評価をいただきました。
たった6つのパーツで生みだした、座り心地の良さ
一柳 新居さんが残された言葉に、
「座り心地を落とさず、とにかく安く、道具のように役立ってこそ椅子」
があるんです。
新居さんがこだわったこのニーチェアの座り心地の秘密について、詳しく紹介されることは少ないので、今日はしっかりお話ししたいです。
平田 お願いします!
左からニーチェアエックス、ニーチェアエックスオットマン、ニーチェアエックス ロッキング、ニーチェアエックス80
一柳 といっても、変わらない座り心地の秘密は「X構造の脚部」と「シート生地」。
もうね、これが肝なんです。座った人の体重で椅子の脚が広がる。すると、シート生地が横方向に引っ張られ、テンションが生まれ、それがクッションの役割を果たす。これは新居さんが考えついた素晴らしいアイデアで、生地の反発そのものがクッションになっているから、いつまで経っても座り心地が変わらない。
ニーチェアエックス 1970年代製(左)と、2020年代製(右)
平田 たしかに。ウレタンやフェザークッションを使ったラウンジチェアは、使っているうちに座面にヘタリが出ますね。
一柳 もちろんニーチェアエックスも長く使っているとシート生地が少し伸びるので、厳密には座面高が少々下がりますが、座り心地自体は変わらないんですよ。
ニーチェアエックスのシート生地、脚部パイプ、肘かけ、シートパイプ
平田 この変わらない座り心地の良さを「シート生地、肘かけ、脚部パイプ、ネジ、シートパイプ、組み紐」という、たった6種類のパーツで実現していることは、驚きです。
先ほど紹介された新居さんの考えの中の「できるだけ少ない部材で、できるだけ簡易な構造で」にもつながりますね。
厚手の生地や組み紐などは、新居さんの実家が剣道の道具の製造や販売をしていたことも関係があるんでしょうか。
一柳 私の憶測になりますが、代々、木工を手がけてきたつくり手だと、木工の技術で家具をつくることになりそうですが、新居さんにとっては「座り心地のよい椅子をどうつくるか」が入口だったのでは、と思っています。
座り心地のよい椅子、つまり「良い暮らしに必要な道具」をつくるため、新居さんはこれまでの家具づくりのやり方にとらわれず、いろいろな所から最適な部材を仕入れてつくればよい、と思われたのではないでしょうか。
平田 なるほど。
では、いよいよここからは、ニーチェアエックスを構成する6種のパーツをひとつずつ一柳さんと見ていきましょう。
繰り返しになりますが、藤栄さんは自前の工場を持っていない問屋さん。どうやってそれぞれのパーツをつくってくれるところを見つけたんでしょう。
一柳 問屋の強みを活かして、つながりのある全国の工場さんに、パーツごとに当たっていったんです。
シート生地は、デニム生地と同じ綾織りの厚手生地「厚織26号」。トラックの幌や、ハチミツをこすための濾過布としても使われる業務用の生地。岡山県倉敷市と滋賀県高島市の工場で分担して織り、一度洗ったような柔らかな手触りを再現するため、生地表面をひっかいて毛羽立たせる起毛加工の後、撥水加工をしています。
6種類のパーツは、すべて違う工場でつくり、集めて組み立てているのですが、ニーチェアの事業を継承するにあたり、「変わらないように、変える」ことを意識していました。
一柳 例えば、シート生地なら、「丈夫さ」「柔らかさ」「手触り」は、絶対、変えちゃいけないところ。だから、元々のニーチェアの生地を持ち歩いて、これと同じ肌触りの生地をつくれる工場がないか探したわけです。
逆に変えたところは、縫製。初代ニーチェアは一本針ミシンを使って2本のステッチを入れていました。今はミシンも進化。ステッチ2本を一度に縫い、コスト削減につなげたり、シートの背面に補強ステッチを追加してさらに耐久性を持たせています。
一柳 2番目に紹介するパーツは、肘かけ。
シンプルな棒状の木材で、肘かけ自体に他のパーツは付いていません。溝の形に秘密があり、パイプが設計どおり開いたり閉じたり動きます。本当にすごいんですよ。私たちが変えないところとしてこだわっているのは、肘かけの形と溝の加工。ニーチェアエックス誕生当時は溝の加工は大変だったと思いますが、今はコンピューター制御の旋盤機を使っているので正確かつスムーズです。
逆に肘かけに使う木材は、新居さんのころからニーチェアの製造年代によってバラバラ。これは「素材にこだわりがない」ということではなくて、新居さんは、その時々で入手しやすい丈夫な木材を選んでいるんです。
平田 肘かけのパーツは、どんなところで加工をされているんでしょう?
一柳 住宅用の飾り階段の柱や手すりをつくる工場にお願いしていて、家具メーカーでつくっているわけではないんですよ。
平田 それも「道具としての椅子」というところにつながっていきますね。
一柳 脚部パイプもすごいんです。私、何度も「すごい」って言っちゃっていますけど(笑)。
新居さんは、1970年にニーチェアエックス、2年後にニーチェアエックス ロッキングを発表しました。脚部パイプの形の違いだけで、揺り椅子になっているんです。
平田 新居さんの考えどおり、「できるだけ少ない部材で」!
しかも、ニーチェアエックス ロッキングも折りたたんだときに自立する構造ですね。
一柳 ちょっとヘンな話になりますが、海外でニーチェアの模倣品が出てくるとき、ロッキングは出てこない。ロッキングの脚部パイプは加工が難しいし、きちんとつくるには設備投資も必要だから。ニーチェアエックス発売当初は、パイプは職人さんの手曲げだったんですが、今は、現代の高精度な加工機でカーブを再現しています。
平田 脚部パイプについて、当初の仕様から変えたところはありますか?
一柳 脚部パイプの形は、絶対に変えちゃいけないところ。ただし、素材と表面加工は変えました。
もともとニーチェアエックスの脚部はスチール(鉄)素材で、クロームメッキを施したツヤツヤしたものでした。スチールは錆びますし、今は環境問題上、クロームメッキは簡単にできない。そこで、錆びないステンレス素材に変えて、表面も光沢を出す加工ではなく、今のインテリアに合う落ち着いた雰囲気のヘアライン加工にしています。
ネジも同じで、こちらも当初はスチール製でしたが、ステンレス製に。組み立て工場の方々も、ニーチェアエックスがすごい椅子だって分かるんですよ。だから、初代ニーチェアエックスのネジのまま、同じ形で再現するのではなく、現代の技術で少しでも良くしようと、ミリ単位で工夫をしてくださっています。
ニーチェアエックス80のネジ(右)
一柳 ここ、ネジの先がちょっと茶色くなっているでしょう。組み立てや分解ができる仕様なので、座っている時にネジが外れないようにネジの動きにロックがかかるメック加工をしています。
平田 これは組み立て工場さんからの提案だったんですか?
一柳 そうです。ネジにこの工夫をしないと、座っている時にネジが外れてしまう可能性があるので、やったほうがいい、と提案してくれたんです。工場さんもニーチェアを後世まで残していこう、という思いで、自分たちの技術をふんだんに盛り込んでくださっています。ときどき、盛り込みすぎているな、というときは、「それは、やめときましょう」というときもあるんですが(笑)。
平田 今の技術で、さらにニーチェアがさらに長く使えるようになっているんですね!
さて5つめのパーツは、シートパイプ。シート生地の左右の両端に入っているパイプのことです。
一柳 このパイプのラインだけで、ヘッドレスト付きの椅子の形になっているんです。実は、私たちが人間工学の専門家にニーチェアを調べてもらったら、人間工学上、理にかなった素晴らしい形だと評価をいただいたんですよ。
新居さんがニーチェアをつくられた当初、人間工学はまだ日本で広まっていなかった時代。新居さんは、自分の体で座り心地を確認しながらつくっていました。結果的に人間工学に合致している形を、シンプルなパイプの曲げで表現されたことは驚きでもあります。
平田 椅子の側面のパイプの形で、座り心地の良さを実現しているのって、本当にすごい。
一柳 ニーチェアエックス、オットマン、ロッキング、エックス80は、基本構造と部品の種類はほぼ同じ。新居さんは生涯、折りたたみ椅子をつくってきたので、この座り心地にいきついたんだと思います。
平田 はい、本当に(大きくうなずく)。
最後にご紹介いただくパーツは、私が個人的に好きな、ニーチェアエックスの肘かけの後ろについている組み紐です。
一柳 組み紐を「もやい結び」にしています。強くひっぱっても輪の大きさが変わらず、ほどけにくい結び方だと、工場さんが提案してくれました。組み紐は、剣道の防具の小手に使われています。
剣道の防具には、面には金属や厚手の布、胴には竹などが、小手には組み紐、というようにさまざまな素材が使われています。「異素材を組み合わせてつくる」ことが、新居さんには身近なことだったんでしょうね。剣道の道具とニーチェアは、素材の種類が似ているんです。
新居さんは当たり前のように身近にあったさまざまな素材を使って、当たり前のように自分の技術を活かして、生きていくために折りたたみ椅子をつくり続けた。新居さんにとっての当たり前のことの結晶がニーチェアエックスなんじゃないかなと思っています。
変わらないように、変える
平田 ここまでノンストップで、新居さんの生い立ちから、ニーチェアの座り心地の秘密、6つのパーツまでお話しいただき、ありがとうございました。
私があらためて思ったことが2つあるんです。
ひとつは、ニーチェアって、つくづく日本人の暮らしの感性から生まれてきた椅子だということ。
あともうひとつは、正直、ニーチェアをぱっと見ただけでは、そのこだわりは見えづらかったということ。
一柳 見えづらいですか(笑)?
平田 はい、そうなんです。ごめんなさい(笑)。
ショップスタッフとして学んできましたので、今ではいろいろ分かっていますが、一番最初にニーチェアを見たときには、今日お話しいただいた、ここまでの深いこだわりは見えていなかったです。
世の中には、見た目が華やかな椅子やデザイナーズチェアと言われる椅子もたくさんあるけれど、ニーチェアは、機能性も含めて、ものすごく考え抜かれた先に生まれた簡潔さがあって、奥ゆかしさすら感じました。
一柳さんがお話しされた「変わらないように、変える」ことも、すごく印象に残っています。
新居さんから引き継いだ理念や形は絶対に変えないけれど、今の生活に合わせてより長く使えるように、一柳さんたちが製造を引き継いだ際、素材やつくり方をちょっとずつ変えていった。今のニーチェアは、初代ニーチェアよりも進化したものなんだな、と思いました。
一柳 2007年にお亡くなりになった新居さんに、何かをお聞きしたりご相談することはできませんし、「変えられない」というのが正直なところ。
平田 本当に難しいですよね、継承って。ご本人がおられない状況で、どこまで変えていいものか。
一柳 だからこそ、常に「変わらないように変える」を心がけています。新居さんがつくっていた時代にはまだできなかったことでも、今の時代の技術でできることがあれば、その点を進化させていく。
もしかしたら、新しいニーチェアを開発してもいいのかもしれませんが、新居さんがつくられたニーチェアと肩を並べるものはなかなかつくることはできない。
今はしっかりと新居さんがつくったニーチェアを続けていく、ということを大切にしています。
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本記事は、2024年8月にD&DEPARTMENT TOKYOで開催した展示「ニーチェアエックスのもののまわり」と、トーク「d SCHOOL わかりやすい日本の名作椅子 - Nychair X LIFESTOCK」の内容を基に再構成しました。