D&DESIGNチームが壁塗りを手伝ってくれて移築した小屋がやっと完成しました。(と、言ってもまだエアコンがついていない)屋根は隣町の高浜市の塩焼き瓦。壁などは「あぐいの美塾」でリサーチしたコールタール仕上げ風の真っ黒塗装。窓やドアは天然木で経年変化待ち。多分灰色になるでしょう。とにかく狭いのです。前回も書いたように幅は2メートルはありません。写真のガラスマドが60センチくらいです。小さいからこそできることをやる。この小屋を頂き、そう考えてきました。それはなんだか30年以上お世話になった東京から大した恩恵も思っていない故郷とも言ったことのない育った町に戻ってきたときに思った「もう、都会はいいや」「どんどん閉じていこう」という気持ちに似ています。自分でやっておきながら「おっ、これもそうか」と自分で思うような感じ。とにかく都会の真似をこの町でしても仕方ないし、大活躍している友人に僻(ひが)んでも仕方ない。自分はじぶん。阿久比は阿久比なのだから。親にもらった体や顔や脳みそは変えられないのだ。なんだかこの小屋(外にある汲み取り便所)を見ていると、もらった体を思う。この大きさや存在で体育館のような、住居のようなことはできない。変にホワイトキューブだからと言って、ギャラリーを気取っても仕方ないしできない。ならば、そんな空間たちが羨むようなことをしでかそう。そう思ったのでした。
静岡にある障害を持つみんなの施設「認定NPO法人クリエイティブサポートレッツ」が毎年行っている「スタタン」の審査委員をしたときに「才能未満」という言葉と出会いました。「それを才能と見るか、見ないかはその人次第」才能や芸だと思っていなかったものを「才能や芸」として見てみる。最初は静岡の施設の企画から始まり、今では全国に広がっている。虫めがねを手に取ると、いろんなものをそのレンズで見てみようとする。そこに意外な発見があったりする。この小屋はそんな感じで「誰にでもある些細なこと」をじっと見てみる。そんな装置になるといいなと思っている。超高速で走るリニアもあるけれど、水戸岡鋭治さんが廃線になったレールに人力のトロッコを走らせ、あくまでも人の歩くようなスピードで風景を眺めてみるような感覚をみんなに言っていたのを思い出す。大事なのは「そこを意識して見てみる」こと。
小屋の名前をずっと悩んでいた。みんなに呼んでもらいたいし、呼んでもらうために。映画監督の河瀬直美さんに相談すると「ちょっとしたこと」って素敵だね。と。ん? それは小屋の名前?? あ、いいね。ということで決まりました。あぐいのちょっとしたこと。多分、「ギャラリーちょっとしたこと」とか、ギャラリーとかつけないと「?」って人が出てくるよね。特別なことではなく「ちょっとした」こと。人に見せるために作ったり描いたりした絵ともなんとも言えないその人だけの世界。わざわざやったりしないこと。小さな日常・・・・・。他人を意識していない何か・・・・。
あぐいの新しい名所になったらいいな。ここにきて「えっ、なにこれ」というようなものをわざわざ眺めてみてほしいな。