すでにdの会社経営からは退いていますからそれは松添社長に任せ、とはいえ「自分ができること」を外側から行なっている、というのが僕のここ6年くらいのスタンス。自分のプロジェクト「d news」も立ち上げ、その実証実験を阿久比で日々、行っているという感じ。1年365日の配分は、150日は阿久比。沖縄に60日、東京勤務が100日、出張が30日、残りは静岡という感じです。すでに講演もほぼ、受けないことにしていて、少しづつやることや持ち物などを減らして、身軽にしていっています。
ちょっと余談ですが、こうして半ば、死に去ることに向かっていると、「さて、自分で持っているものは、自分がこの世からいなくなった後、何かしら役に立つのだろうか」と、思うのです。よくわからないものがたくさんあって、結局、廃棄処分されてはもったいない。と、考えていくと、本(然るべき)って、次の世代の風景を作るよなぁと思うのです。ちゃんとした本を買って残す。絵も、そんな感じがします。あ、ちょっと余談でした。
(本社のある)東京にいると、いろんなことの中で「本質」を考えなくてはならなくなります。ややもすると、それを見失い、しかし、今日、明日には決めないといけないスピード感で、物事は進んでいく。沖縄に来ると、東京から、そして、日本から少し距離を置ける感覚があり、沖縄の自宅に来ると、途端に見えてくるものがあります。
例えば、いま、dについてのギフトなどに入れる説明書の原稿を依頼されて(d本社より)書いていますが、立場として一歩引いているとしても、なかなか東京では書けません。正確には書く気にならない。そんな効力が沖縄にはあります。
そしてもう一つ。日本を考える場所としての沖縄です。最近、復帰記念で改めて沖縄のことをよく耳にしますが、沖縄にはやはり「本土、日本の原点」がある。僕はそう思います。沖縄にいると、本土の情報より、沖縄の情報の方が多く、その中には「沖縄を通じて感じる日本」の情報が本当に多いと感じます。自然や人との距離感など、本当に参考にすべきことが多い。ということもあり、3番目になるd news okinawaを作りたいと考えています。と、いうことで、行ってきます。