やちむん(焼きもの)の産地に暮らし、「民衆のための」美しい器を模索する|井口工房(読谷村) 

「なんか軽いね」と言いながら買ってくれた

沖縄はやちむんブームが続いている。産地である読谷村(よみたんそん)で「やちむん市」を開催すれば初日の午前中で完売という工房が出てくる。買い手の数にものづくりが追いつかない状況は、見ていてちょっと恐いくらいだ。

読谷村に工房を持つ井口工房もそんな人気のただなかにある工房のひとつだが、6年前、はじめて参加したやちむん市は「惨敗だった…」と意外な言葉を井口春治さんはもらした。

「何、この人たちは?という感じでした。二人で工房をはじめて3年くらいは絵付けはやっていなかったんですよ。皆さん無地のお皿に慣れていないみたいで、やちむんの絵付けのイメージで来た人たちは触りもしない。それで絵付けもやろうかなとなった」。

でも形は変えずに臨んだ2年目のやちむん市。「一年目売れなかったからゆっくり準備していたんですよ。そうしたらひとり並び始めて、2人、3人…。気がついたら2時間くらいずっと梱包していた。それで腰を痛めたくらい。ほぼ完売でした。会場を1周まわってきたお客さんが、『なんか軽いね、軽いね』と不思議そうに言いながら買ってくれたんですよね」。

そう。やちむんのぼってりとしたイメージと異なり、井口工房の器は軽やかだ。特にマカイ(茶碗)など手にもつものはなるべく軽く、また洋食にも和食にも合うようにつくっているという。「平皿も少し深めにしてるわけ。アジアの料理というのは煮物が多いから、どうしても煮汁がたまるでしょ。カーブをを付けたら煮汁が真ん中にたまるから器を汚さない」。

春治さん自身がふだん家族で囲む食事の多くは、ウチナー(沖縄)料理や和食だと言う一方、「みんな、パスタもピザもステーキも食べるしね。食文化が多様化しているから。何でもつくらないとね」と話す。

 

同じ型でも型抜きをする人によって全く違うものになる。

春治さんは昭和43年、沖縄本島の中部・中城村(なかぐすくそん)で生まれた。子どもの頃、食卓にのぼるのは瀬戸物(磁器)、というのは、沖縄ではふつうのことだという。デザイン科の高校を卒業した後、大学ではグラフィックデザインを学ぼうとしていた。4浪している間に出会ったのが、沖縄の現代の陶芸で先頭に立ってきた大嶺實清(じっせい)さんの個展だった。当時、やちむんの産地といえば、琉球王朝時代からの壺屋(那覇市)があったが、「あの頃は古くさいお土産品のイメージ。興味もなかった。でも大嶺先生だけは自分の好きなことをやってた。そうか、やりたいことをやればいいんだなって思えて、それが心のどっかにひっかかって、陶芸もいいかなと進路を変えたんですよ」。

だが、まだ時代は自由を許さなかった。

「皿の裏に模様を描いてもだめって言われた。黒く塗れ、と。そんなの民芸じゃないと言われて、じゃあいいよ、民芸じゃなくてと思ってた。時代は変わっていくのに、それ以外のものをつくるのはだめっていうのはおかしいでしょ。例えばタコライス。沖縄に根付いた食文化にあった器が必要になるよね。なのに昔のイメージの器に入れて食べなさいって言われてもね。本当は民衆が民衆のためにつくったものが民芸じゃないの?」。

反発心からかどうか、大学卒業後、春治さんはイタリア遊学や季節労働などで過ごし、陶芸からは一旦離れる。そしてまた何の縁か、大嶺工房で働いていた友人に工房でのアルバイトを誘われたのを機に、30代後半の約5年間、大嶺さんのもとで修行をすることに。工房でろくろをひく手は足りていたため「大嶺工房では、型抜きをしているか、草刈りをしているか」だったという。その後、2つの工房を経て、約5年かけて準備し、大嶺工房と同じく「やちむんの里」と呼ばれる敷地内の松田米司工房で働いていた悠以(ゆい)さんとともに独立した。オーバルプレート(楕円皿)をつくる時、悠以さんが「こんなのが良いな……」と、フランスの定番の形を出した。それを受けて 春治さんはそのままの形を真似をするのではなく、井口工房の型をつくった。「高台無しのオーバルプレートは多いと思いますが、高台を付ける事で指にかかって使いやすい」との悠以さんに、春治さんが美意識を加える。「べた置きはカジュアルっぽさがあるから嫌いではないけど、ちょっと浮いているほうがいいじゃない?」。

その石膏型から型抜きをするのは悠以さんの役割。「ひとつの型でもそこから抜く形は人によって全然違うものになるんです。これをちゃんと抜けるようになるまで3年以上かかって。もう泣きながらでした」。

 

器づくりのよろこび

器づくりのよろこびは?と訊ねた二人の答えは同じだった。

「お客さん。それしかないよね」。

「やちむん市に参加しない人もいますけど、わたしたちからそれをとったら働けない。やちむん市がなかったら楽しみはどこだ?ってなります。試作や新作をおいて、生でお客さんの反応が見られるのが楽しいんです」。

やちむんブームといっても、二人にとっては「他で沸き上がっている」感覚であるという。地元の土だとか、伝統、沖縄らしさに対して、春治さんは気負いがない。

その一方で、かつて反発した「あの時代のパッションみたいなものにはかなわない」という、どこかあこがれのような気持ちも心の隅にある。今の時代の「民衆のための」器をつくりつづける日々だ。

井口工房

沖縄県出身で、読谷山焼の大嶺實清氏に師事した井口春治(はるじ)さんと、神奈川県出身で読谷山焼北窯の松田米司氏に師事した井口悠以(ゆい)さんのふたりが、2012年より読谷村にて設立した工房。