みんなが「良い」を持っている。それぞに価値観は育てられ、育っていく年月でそれぞれ違う。我がD&DEPARTMENT(以下d)にも、一つのブランドなのに二種類の「良い」があり、おそらく働いているスタッフはもちろん、役員ですら困惑している(と、思う)。
その2つを食品に例えると、無農薬、もしくは減農薬、オーガニックで添加物とかが入っていないもの。そっちの価値基準は、「良い食品づくりの会」などに加盟して、割と頑張っていて、渋谷ヒカリエ8階の「d47食堂」など、dの飲食店が「おいしい」と囁かれているのは、この体に健全である特に調味料による調理と、食の生産者との繋がりによる健やかな旬な食材と土地に続く食文化を丸ごと惜しみなく調理師、業務用としてなかなか使わない本漆の椀や焼き物を使っているその全体から感じるもの。それが一つ。
もう一つは、お分かりだと思いますが、「オキコラーメン」などに代表される様々な添加物が入った、昔からの懐かしい味。たまに無性に食べたくなる子供の頃の思い出と一緒に楽しく、そして、気軽に購入できて食べられるもの。この2種の「良い」である。
金沢のガラス作家、辻和美さんが主宰するギャラリーで、今年の春、「経年変化するプラスチック展」を僕の個展として開催し、想像以上の反響を頂きました。これも僕の中でのB面の「良い」。そもそもあんなに世話になっておきながら、急に「悪い」とされてしまっている「プラスチック」をなんとかしたいという気持ちで企画しました。なんとかしたいというのは、便利に使い捨てられるものにしたのは人間で、しかも、ポイ捨てしているのも人間。だったらプラスチックが悪いのではなく、人間のプラスチックに対する「気持ち」を変えようよ、という考えで「ほら、プラスチックだって、陶器や革製品やジーンズのように、経年変化があって、それは一生物としても楽しめるよ、しかし、その意識はあなた次第だよ」と、投げかけたわけです。もちろん、プラスチック製品の中に潜む微細な何かが、人体に入り込むことにより、体の中に蓄積して・・・・云々という製品と人体の関係の話は尽きませんが、それと食品添加物は、僕の中ではほぼ同類。なんか、人間の都合って、本当、調子いいよなぁと思うわけで、一番重要なことは「楽しく、健やかに日々をおくれること」なんじゃないかと思うのです。
添加物たくさん入っているものを毎日食べている、めちゃくちゃいい人、います。心が澄んでいて、一緒にいても気持ちいい人。人間を生物、動物と考え過ぎて、人体への影響とか、ビジネスの観点を盛り込んで訴えている食料品界に限らず、結局は「その人」であって、材料はその次なんじゃないかと思うわけです。
dの中には、そんな「世間の良い」と「ナガオカ的な良い」が混じっていて、カップヌードルの何が悪いんだ!! プラスチックだって愛せるぞ!! という僕の「良い」がなんとなくd全体に矛盾を醸し出し、結果「古き良き会社」という社風に残っている。
「良い」って、突き詰めていくと戦争や殺し合いになっていきます。だから思うのです。冒頭に書いたことを。タバコを死ぬまで吸っていた人の死因を「タバコ」にするのは医学的には筋ですが、その人の充実感との対比は難しい。昔に偉大な文化人が多くいたのは、一つには害のあると言われる喫煙文化の功績は、僕は大きいと思う。とはいえ、出張先のビジネスホテルで「喫煙室しかない」と言われたら、泊まりませんが・・・・・・(笑)
「良い」は人の数だけあっていいと思います。そして、社会的な緩やかな「良い」と一緒に共存していく平和さも意識していく。
と、いうことで、僕の目が黒いうちは、カップヌードルやプラスチックは「良い」のです。