徳島県の半田に工場を構える、1977 年創業の「北室白扇」。その製麺所で、社内はもちろん、地域の人からも頼られる三代目の北室淳子さん。彼女の製造業の枠を越えた地域への取り組みとその熱意から、これからの製麺業に必要なことや産地がどう変化していくのか、お話を聞いた。
※本文は、『47麺MARKET』(2015年 D&DEPARTMENT PROJECT刊)掲載のインタビュー記事を転載したものです。
「素麺屋」らしくない人
ナガオカケンメイ|今回は47 都道府県の「麺」の展覧会ということで、つくり手の立場から見たお話を、北室さんに聞きたいなと思い、わざわざ東京までお越しいただきました。よく東京には来られますか?
北室淳子|ほとんど来ないですね。父と母、従業員の計8名で素麺をつくっていますが、従業員は基本的に職人さんですし、ファクシミリやコピーの操作ができなかったりするんです。だから、私が出かけていても「すぐ帰って来て!」と言われてしまって……。
ナガオカ|そういう事務系のお仕事のほぼ全部を、北室さんがされているんですね。
北室|はい。みんな分からないことがあると「どうしたらいいの?」と、全部私に聞いてきます(笑)。 なので、出かける前は必ず指示書を書いて、配送や発注の段取りまでメモしてから外出しています。「あの人が何時に取りに来るからね」「シールはここに置いていくよ」とか、とにかく細かく。
ナガオカ|お客さんからも、北室さんがいないと困るって言われるでしょう。
北室|そうですね。うちは卸が3 割で他はだいたい小売りです。直接お客様にお送りすることが多いので、細かな対応が必要になってきます。
ナガオカ|最初に北室さんとお会いした時、僕は「素麺屋さんじゃなくて、コンサルの人みたい」って言ったんですよね。
北室|そうそう。すごくショックでした。ちゃんと「素麺屋」として見えていないのかなと不安になりました。
ナガオカ|いや、僕は、北室さんの「企画力」とか「開発力」とか、そういうことから「コンサルみたい」って言ったんです。つまり、家業だけではなくて、「地域」や、もっと言えば「素麺業界全体」のことを考えている。それは、「素麺屋」の域を越えていると感じました。初めて会った時から、「半田手延べ素麺」に関する意識の高さを感じたので、役場か組合の人かなと思ってたくらいです。
北室|確かに、自社商品でなく、とにかく「素麺」を知ってもらいたいという思いが強いです。今はFacebookやTwitterなどでも、1日1回「素麺」って言おうと思い、SNS が得意な仲間と実践しています。そうしていると最近、「素麺ってよく聞くよね」と言われるようになりました。
ナガオカ|身近なところから浸透させていっている。
北室|そうですね。でもここから先は、これまでのお客さんだけでなく、新しいお客さんを増やしていく必要性を強く感じています。
北室白扇の工房で手延べの体験をするナガオカ
新しい世代のファンづくり
ナガオカ|今の若い世代って、なかなか素麺をゆでて食べたりしないですよね。
北室|生まれた時からコンビニがあり、24 時間外食ができて、通販で手軽に買うこともできる世の中。素麺も、せいぜいコンビニの「素麺サラダ」みたいなのを買ってきて、プラスチック容器を開け、パッと混ぜて食べるという存在です。
ナガオカ|やはり、麺を買ってきて、自分でゆでて食べてもらいたい?
北室|そうですね。これまでのお客さんは、贈り物で使う方が多かった。例えば、おばあちゃんが子供や孫の家に毎年贈ってあげるような。つねに買い置きしておくことが当たり前だった時代から、いつでも手に入る時代に変わってきているので、昔の方法ではやっていけないんです。
ナガオカ|素麺を贈ったり、ストックしておく必要性がなくなってきている。
北室|だから、新しいファンをつくることって、素麺を自分で買って、自分でゆでて食べてもらう人を増やすことだと考えています。
ナガオカ|「贈り物」の需要よりも、「生活品」として身近に取り入れてもらう必要がありますね。
北室|徐々に新しいことをやらせてもらえるように、産地の上の年代の方に、自分の挑戦したいことを上手く伝える方法を身につけました(笑)。
ナガオカ|「北室さんとこの娘さんならいいよ」と言ってもらってる感じですか? (笑)
北室|まだそういう感じもあります。でも、最近は地元・徳島県出身のバンドに声をかけてもらって、初めて“フェス”で素麺を出すんですよ。これは、今までの中でも新しい挑戦です。
ナガオカ|それは音楽の“フェス”?
北室|はい。音楽フェスにご当地グルメとして出店します。いろいろ問題はありますが、「みんな巻き込んでやっちゃえ!」って思ってるんです。とにかく突破していかないと、産地の上の人達にも本気なんだと受け止めてもらえないし、こういう新しい挑戦から、次の世代のファンを増やしていければと思います。
ライバルであり、仲間であり、ご意見番
ナガオカ|常に何かに挑戦しているように見える北室さんですが、普段はどんな方に相談しているんですか?
北室|一番は、同じ半田で素麺をつくっている「本田製麺」の本田勉さんですかね(笑)。
ナガオカ|同じ産地だから、ライバルですよね。
北室|まぁ、そうですね。でも私にとっては、ご意見番。思いっきり外れると怒られるような関係です。
ナガオカ|僕もお会いしたことがあるのですが、二人が話していると、仲が良いのか悪いのかわからない(笑)。
北室|「自分が言ったことや、やりたいことはさっさとやれよ!」というのが、あの人なりのエールの送り方なんですよね。だから他から見ていると喧嘩しているようにも見える(笑)。
ナガオカ|そうそう。不思議な感じ。
北室|でも、根底には「半田手延べ素麺」の良さが知られていないという共通の危機感があります。それぞれの事業は、それぞれの会社で残ってきたものを受け入れていくしかないので、お互いに切磋琢磨すればよくて、足の引っ張り合いなどはないです。
ナガオカ|昔は足の引っ張り合いとか、大変なこともあったんですか?
北室|「そんなところ行ったって売れへんよ。やめとき、やめとき」というような、言われ方をすることはありました。でも今は、「あの子があんなに頑張っているなら、私も頑張ろう」という流れになってきていると感じています。
つくってもらった土俵があるからできること
北室|私たちの仕事ってとにかく繰り返しのルーティンワーク。朝は早くて夜は遅い、暑さ寒さも激しいから、なかなか若い世代が従事してくれないという悩みもあります。それでも辛抱するしかないと思っていたのですが、それがだんだん嫌になったこともありました。だから私は、「半田手延べ素麺」の名前を脇に置いて、違うブランドをつくろうとしたんです。その時ナガオカさんに「お母さん達がやっていることを否定しない方がいいよ」と言われて、ハッとしました。こんなふうに好きなことができるのは、親や、これまで産地を育ててくれた人達がつくった土俵があるからこそ、ということに気づいたんです。
ナガオカ|それは、やりはじめてどれくらいたった時ですか?
北室|15 年くらいです。20 年近くこの仕事をやっているので、比較的最近ですね。はじめは、暗いとか、渋いとか、変わり映えしないと思っていたこの業界に対して、他の人がやっていないことをやろうという気持ちがありました。でも今は、受け継いだことを踏襲しながら、次の新しいことに走っていきたいと思っています。
ナガオカ|そのように思えた理由はなんでしょう?
北室|以前、JAS 規格が定める「素麺」の定義にあ合わせて、麺を細くした時期がありました。というのも、JAS 規格で素麺の太さは1.7mm 未満と決まっていて、当時つくっていた一部の商品はその基準よりも太いから「素麺」と呼ぶことができなくなったんです。それで、JAS 規格に収まるサイズまで細くして販売したら、お客さんから「これは私がいつも食べている素麺じゃない!」という連絡がたくさんきて、「私の素麺を送って!」と大変なことになりました。その時に、お客さんが「私の素麺」と言ってくれる麺を止めるわけにはいかないし、そういうふうに愛されている商品は、後継者ができたときにも変えないで欲しいと思ったんです。何か新しいことをするには10 年かかると言われたことがありますが、本当にそうだなと思います。目先のことだけに走らない。次の世代に繋いで渡せる商品をつくっていきたいです。
地元を思う理由
ナガオカ|北室さんの住んでいるエリアには川があって、その川に灯籠がある。その川は昔、素麺の原料を運ぶために使っていたものですが、今は物流も発達して川も使わなくなり、灯籠もいつの間にか使われなくなった。いつしか柵ができてしまったんですよね。2013 年夏、北室さんはその灯籠に火を灯すイベントをされて、参加した僕はとても感動して、毎日新聞の連載でも紹介させてもらいました。近くの空き家を借りて、その灯籠に火を灯すことで、地域の結束を強めようということを一人でやり始めたんですよね。なんでそんなイベントをしようと思ったんですか?
北室|半田にいないと、半田でつくらないと「半田手延べ素麺」とは言えません。「半田手延べ素麺」は他の土地ではつくれないんです。だから私たちは半田にいないといけない。ということは、半田が良い町にならないと続かない。そう考えた時に、「半田手延べ素麺」の発祥の地である場所が寂しい状況になっているのを、どうにかしようと思いました。素麺が今の倍売れても、それがつくられている場所が寂しい状況だったら嫌だと思ったんです。
ナガオカ|自分たちの売上げに一切関係なくやっている。周りには応援してくれるファンもいれば、また何かやっているな、という人もいる。そんな中、僕はいちファンとしてそのイベントに参加し、灯籠に火が灯るのを見届けました。そのイベントに来ていた人は、役場の人から地元の人、若い建築家などさまざま。みんなで長いテーブルで素麺を食べている様子に感動しました。産地独特の過去何十年ものしがらみもある中で、北室さんはひたむきに1ミリずつ活動しているんですよね。それがすごい。
個人の行動力が周りを巻き込む力になる
ナガオカ|北室さんは、「誰もやらないなら私一人でもやる」という人。普通だったら、「助けてほしい」と言ったり、もしくは助成金を使って、東京から人を呼ぶとかするんでしょう。でも北室さんは違う。基本一人でやってしまう。これまで、さまざまな地域を見てきたけど、一個人がこんな熱量で地域を思いながら、おおよそ一人では背負えるはずのないものを背負おうとするのを見ると感動してしまうんですよね。
北室|現状、取り組んでいることの一つ一つが、きちっと終わっていくことはないんです。全部が並行しながら進んでいく。終わったかなと思うと、また別のところから声をかけてもらえるようになってきました。そして気づいたら「淳子ちゃんにできるなら、僕にもできる」みたいな人がすごく増えてきたんです。なので、一人で背負い込んでいる気はしていません。
ナガオカ|多分、日本の麺産業の大半は同じような悩みを抱えていると思うんです。組合や問屋、仲卸があって成立していたことが、個人個人が発信する時代になってきていますよね。その発信方法にみんな悩む。
北室|そうですね。そういう時に、「あの人ができるなら自分もできる」という人が増えると、それぞれが強くなっていく。一人の強い人に頼るんじゃなくて、産地自体が強くなっていくと思います。そういうことが、どの産地にも必要になってきているのかもしれません。
ナガオカ|話を聞いていると、組合のしがらみもあるし、自分の家業もあるし、狭い町の中では村八分にあう可能性も十分にあるじゃないですか。北室さんの場合、それを説得するのではなく、「私がやります」と低姿勢に徹しながら進めていく。その行動力と努力がすごいですね。要するに、大きな事件を起こすわけではなくて、常に同じことを言い続けながら、日々行動しているということが重要だと思います。
北室|実際に何ができているかは自分でもわかりませんが……。
ナガオカ|普通、北室さんみたいな人がいると、地元のメディアで目立つのだけど、徳島は絶妙にそうじゃない。基本は誰も注目していないところで、感動する人だけが強烈に共感し、集まって、その後それぞれが散らばっていく。それが、メディアが発散する力を越えているかは分からないけど、かなり強くみんなに伝わっていると思います。
素麺から「その土地らしさ」の伝え方を考える
ナガオカ|地方の町に来たら、その土地の名産品が食べられるお店があるととても良いなと思います。例えば、組合が運営しているお店で、ささっと「半田手延べ素麺」が食べられる。組合がやっているから、関係している商品がずらっとそろっていて、そこで地元のことを知ることもできる。そんな場所が徳島にもあったらいいなぁと思います。
北室|そこでは、食べ方の提案もいろいろできそうですね。実は私、「半田漆器」も復活させたいんです。
ナガオカ|かつて、その土地の「食」は、その土地の「器」で食べられていましたもんね。
北室|10 年程前に、半田漆器工芸館が赤字事業だったことから閉鎖されてしまい、職人も解雇され、今は椎茸の菌床工場になっています。行政の人は失敗を繰り返したくないから再開したがらないけど、施設と道具があるから、絶対に再開できると思うんです。あとは人を育てる気があるかどうか。
ナガオカ|また自分でやろうとしてる(笑)。
北室|かつて、漆器で食べられなくなった職人が、素麺屋に転業していたんです。そういう経緯もあって、半田には素麺がまだ残っている。だから、「今度は私たち素麺をつくっている人が、漆器を助ける番なんじゃ!」と思っています(笑)。
ナガオカ|素麺のことだけでも大変なのに、何が北室さんをそうさせるのでしょうか。
北室|明確に問題が表れているんですよね。だから、目指せばいい場所も見えている。「半田手延べ素麺」を「半田漆器」で食べる。そのことに半田らしさが全部詰まっているように感じていて、絶対に実現させたい。
ナガオカ|じゃあ、やっぱりそれを食べさせてくれるお店もつくらないと(笑)。
北室|そしたらもっと半田に来てもらえますね。
ナガオカ|じゃあ、宿も見つけないといけない(笑)。
北室|でも、不思議とそういうふうに考えていると、じゃあ「私がやります!」という人に出会えることもあります。この前は、移住して来た人が「僕はカヌーが得意だから、川でのイベントならできますよ!」と言ってきたりして、面白いです。
ナガオカ|北室さんは言い始めると本当にやるから、この話も2 年後とかに実現しているかもしれませんね。
北室|また、そんな風にプレッシャーをかけて……(笑)。 今は製造業をやりながら、どこまでできるかなって挑戦を続けているところです。
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半田手延べそうめん
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吉野川を上下する船により、原料の小麦粉、塩、油などの入手が容易だったことから、船頭家の副業として始まった「半田手延べ麺」。うどん文化と近い地であったことも影響し、太口の素麺がつくられてきた。〈半田手延べめん〉は、その太さから「素麺」とは呼べないが、長年食べ続けてきたファンに望まれ、つくり続けられている。
※「素麺」の太さ
JAS で定められた素麺の規格は、麺の太さが直径1.3mm 未満。「手延べ素麺」は1.7mm 未満。北室白扇の〈半田手延べめん〉は1.8mmなので、「素麺」とは呼べない。
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北室淳子さんがおすすめする
「半田手延べめん」の食べ方
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素麺に酢味噌をかけ、きゅうりの薄切りをたくさん入れ食べるのが地元では定番。だしをとってつゆをつくるのはお盆などの特別なとき。古くから半田で家庭の味として親しまれる「酢味噌素麺」のつくり方は、こちらから。
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北室淳子
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1975年、徳島県生まれ。大阪観光専門学校を卒業後、1996年、家業である素麺製造会社「北室白扇」に入る。以来、半田手延べ素麺や素麺自体のファンを増やすための試みを続ける。最近では、香川県で行われた野外フェス「MONSTER bash 2015」でブースを提供。半田手延べ素麺を毎月1回食べる「素麺ナイト」や、半田漆器で食べるワークショップなどにも取り組む。2018年8月開催「The乾麺グランプリ2018in Tokyo」にて、半田手延べそうめん協同組合のメニューがグランプリを受賞。同年10月より同組合の副理事長に就任。現在は、来年夏に地元つるぎ町に開業予定の半田素麺レストランを準備中。
www.kitamuro.co.jp