温かな日差しに照らされた宇和海と、段々畑に囲まれている西予市明浜町狩浜地区。ここに無茶々園があります。1974年、狩浜集落に暮らす3人の若者が無農薬栽培の実験園を始め、現在では80軒以上の農家が無茶々園の柑橘作りを行っています。
事務所として使われている廃校になった狩浜小学校で、事業部を担当する藤森美佳さんを訪ねました。
藤森さんは岩手県出身。旦那さんが無茶々園で農業を始めたことがきっかけで、15年前に移住してきました。無茶々園で働き始めて「自分たちが扱うものは疑いがなく、おいしいものを販売できる楽しさがある」と語ってくださいました。
柑橘の栽培、加工品の製造だけでなく、福祉サービスの展開や、新規就農労者の育成、海外からの農業実習生の受け入れなど、幅広く展開しています。活動範囲は年を重ねるごとに広がっていますが、その根底として、この町にとっていいことなのか、自分たちがこの土地で生きていくためには何をすべきかという基準が、町には浸透しています。それを模索していった結果が今の運営方法だそうです。
無茶々園は会社というより、人々の拠り所やまちの集会所と言う方が似合います。もはやこの地域自体が一つの町であり、未来の農村の姿の様です。実際に、藤森さんのお子さんが学校終わりに寄ったり、愛犬も家を脱走して来てしまうほど居心地のいい場所になっているそうです。
それから移動して、みかんの段々畑へ。
この土地の特徴は何と言っても白く映える石垣です。江戸時代に芋や麦を栽培していて、少しでも農地を増やそうと、当時のひとたちが作った地形のまま、今日まで続いています。昭和に入ってからはみかんの栽培が奨励されるようになり、現在の段々畑になりました。
ここで育ったみかんは三つの太陽に恵まれていると言われています。太陽の光、海からの照り返し、そして段々畑の白い石垣からの反射。この三つが揃うことで、陽を満遍なく浴びた甘いみかんが育つそうです。
「種類が同じでも、つくり手や環境によって育つみかんは違いますよ。」
収穫したみかんの保管庫へ伺い、食べ比べをさせていただきました。
実際に食べると、その違いに気づきます。一定の基準をクリアしていても、土壌や海風の影響など、様々な要因が重なって違いが出るそうです。実際に購入する際には、生産者を指定してみかんを購入することもできます。
「食べ終わったみかんの皮は土手に置いて大丈夫です!」
そんなことしたらゴミの放置になるんじゃと思いきや、見ると道路沿いの土手にはみかんの皮がちらほらと。
ここではみかんの皮はゴミではありません。「みかんは自然からの産物だから、自然に還る」という考えが普通。他にも畑にみかんの皮が落ちてたり、海へ続く水路にもみかんの皮や食べ終わった貝殻が。自然と共生している土地だからこその考え方に、とても刺激されました。
無農薬、無化学肥料栽培なんて無茶なことかもしれない。それでも無欲になって無茶苦茶に、でも苦は除いてこの土地で奮闘してきたからこそ、山も海もそして人々の暮らしも色褪せることなく、今まで繋がって来たと思います。人、自然、この町全体からパワーをいただき、ここに来たもうひとつの目的、無茶々園を始まりから支える片山恵子さんのお宅へと向かいました。