今、日本の木桶が注目を集めている
和食の基礎調味料である醤油、味噌、酢、酒、味醂に加えて、熟鮓や漬物といった日本各地の発酵食文化は、歴史を辿ると、それぞれの地域ならではの食文化の基盤となっている。共通しているのが木桶でつくられてきた歴史を持つこと。
滋賀県「魚治」鮒寿司
和食ブームで世界中に日本食が伝わる一方で、昔ながらの伝統的製法でつくられた調味料が世界へ流通しているかというと、それは実は否。近代的な環境下で、衛生的に管理システムが整い、いわゆる速醸タイプの短期間で発酵を促した量産体制の廉価版が多い。
愛知県「まるや八丁味噌」八丁味噌
もちろんそれが悪いわけではないが、日本で本格的に修業をした料理人たちは、伝統的な製法の調味料が欲しいと声を上げ始めている。木桶は伝統的な製法だから良いのではない。複雑で奥行きのある味わいが生まれる理由があり、その上に歴史や文化を含めて理解し、楽しみたいという人が増え始めているように思える。
木桶は発酵菌の家
昔ながらの醤油蔵や味噌蔵は、蔵全体が醤油や味噌の香りに包まれている。木桶を使う蔵に初めて訪れたときは、蔵の壁や天井、木桶の周りに付着するカビというのか、ホコリというのか、分厚くふわふわした“何か”が多層に重なっており、一抹の不安を覚えた。しかし、それこそが数百年をかけて蓄積したその蔵の財産となる発酵菌たちそのものである。長い年月をかけて発酵を繰り返してきた菌たちは、その環境の中できっちりと発酵ができる生態系をつくっている。
木桶は、洗剤を使って洗浄をすると、洗剤が木の中に入り込み次の仕込みに影響が出てしまう。高熱で殺菌処理をすると、木桶を住処に付着している良い発酵菌を死滅させてしまって木桶の良さを活かせない。発酵は菌がやってくれる仕事だ。人間はただ菌が発酵していってくれるのを見守り、その状況や環境を整える守り役となるのが仕事である。木桶仕込みによる発酵食品が多様な味わいを示すのは、木桶や蔵そのものが、脈々と続き、独特な生態系をつくり上げてきた菌の違いと言える。木桶は、いわば居心地の良い家であり、最高なパフォーマンスを発揮できる職場でもあるわけだ。
木桶職人復活プロジェクトが生まれる
香川県小豆島には、およそ21社の醤油蔵がある。中でも「マルキン醤油」は、500本以上もの木桶を保有し、圧倒的な木桶仕込み生産量を誇る。それでも、日本全国で木桶でつくった醤油の比率はたったの1%。木桶仕込みの産業は明らかに縮退し、当然それに伴って木桶自体をつくる産業自体も衰退している。
数年前まで、日本で木桶をつくれる生産者は大阪の1社のみという状況になってしまっていた。木桶文化はまさに絶滅寸前。今後継者が決まらなければ、日本の木桶文化は途絶える。そこで立ち上がったのが、この小豆島で木桶仕込み100%で醤油の製造を行なう「ヤマロク醤油」の山本康夫さんだった。
自身が別の蔵の木桶を譲り受け、自社で同じ原材料を使って醤油づくりを試みたところ、元々の木桶に生息していた菌との相性が合わず、大変な苦労を重ねた経験をしている。安易に別の蔵の木桶を救出して使うことも、大きなリスクも伴うことを身を以て知り、であれば新桶で仕込んだ方が良いだろうと、新桶を発注したところが事の発端だった。
山本さんは、このままでは製造もメンテナンスもできなくなり、日本から木桶文化が無くなることを危惧し一念発起。2012年、山本さんの信頼する地元の大工にも参加の声をかけ、木桶づくりに誘い出した。翌年、いよいよ大阪で木桶づくりの見習いを始め、“木桶職人復活プロジェクト”は山本さんの情熱により産声を上げた。
木桶をつくる
奈良の「吉野杉」を使って側板を作る。木桶の中にはおよそ3600リットルもの醤油が入るので、木桶が水分を含んで膨張することを視野に入れて構造を組み立てなければいけない。側板を合わせたら、次はその周囲をぐるっと「竹たが」で締める。竹は小豆島の真竹を使っている。最後に、底板をはめる。そっと底板を真上から落としていき、後は大人数人で同時に掛け声を出しながら、大きな丸太を振りかざしては落としを繰り返す。
以前、木桶の縁に立ち、丸太を持ち上げ振り落とす経験をさせてもらったことがある。木桶から落ちやしないかと心配になるも、関わる人たちと祭りのような一体感に包み込まれながら、木桶づくりという太古から脈々と続く歴史に参加できている高揚感を得たことを鮮明に記憶している。
木桶の底板には、毎回関わった皆でサインを入れる。このサインをもう一度見ることができるのは木桶が寿命を終える150年後。僕たちはもうこの世にはいないが、木桶はしっかりと文化を?いでいってくれる。
小豆島から世界へ
毎年、真冬の1月末、ヤマロク醤油の敷地内で木桶づくりが行なわれる。全国各地から、酒蔵、醤油蔵、味噌蔵の面々が有志で小豆島に集まってくる。蔵内には再会を喜び合う歓声が湧く。この人たちが、日本の木桶文化を、今、目の前で生み出している。木桶づくりに関わりに来れば、その製造ノウハウは全てオープンだ。
山本さんの思いは、木桶醤油の需要の1%マーケットを皆で取り合うことではなく、2%、3%にしていくことだ。同じ顧客を取り合っていても木桶文化を残していくことにはならない。木桶づくりが全国で地産地消されるのならば本望なのである。山本さんは、今、海外へ向けて 「KIOKE」をブランド化するべく動き出している。日本の1%が、いつしか世界の1%に。昔のものだった木桶が、いつしか醸造の最先端に躍り出る日も近い。
※本記事は『d design travel KAGAWA』に掲載されています。