INTERVIEW
ヤマロク醤油 五代目 山本康夫
香川県の小豆島にもろみ蔵を構える、ヤマロク醤油。木桶仕込みの醤油の伝統を後世に伝えるべく、五代目の山本康夫さんは醤油屋の枠を越えて活動しています。地域や産業を巻き込みながら取り組む様子は話題を呼び、わざわざ海外から見学者が足を運ぶほど。今、ヤマロク醤油の活動は「うねり」となって、食の現場に共感と参加を生んでいます。
d47食堂のディレクター相馬が、山本さんに、じっくりとお話を伺いました。
→前編はこちら
※このインタビューは、d47 MUSEUM「NIPPONの47人 2016 食の活動プロジェクト」展のために行われたものです。
【 1%のシェアを取り合うより、みんなで2%にする方がいい。 】
山本康夫: うれしいことに、「ヤマロクが桶をつくっている」という話が広まって、自然と人が集まってきてるんです。得意先の人も「自分もつくってみたい」と言って、今、みんなで桶屋見習いをしています。2015年には、地方で真面目に醤油づくりをしている人たちに「一緒に桶を組みませんか」と声をかけて、12社ほどのお醤油屋さんと一緒に桶を組みました。桶づくりの要である竹の「たが」を大きなサイズでつくれる人は、日本には今や数人しかいなかったんですけど、この取り組みで、桶職人見習いが一気に増えたりして(笑)。
相馬夕輝: それだけ皆さんが、同じ危機感を感じているということですよね。
山本: そうなんです。いずれ、ご先祖様からもらった木桶はダメになる。でも、うちがこういうことをすれば、「ヤマロク醤油に頼めば、桶をまだつくれるかもしれない」と思ってもらえます。今、木桶でつくる醤油は生産量全体の1%もないんですが、「この1%をみんなで取り合いするのはやめよう」と。みんなで木桶をアピールして、「1%を、2%にしよう」と言っているんです。
山本: シェア1%の中で争うより、みんなで2%にする方がいいでしょ。この考えに共感した人と一緒に桶づくりをしています。桶仕込みの醤油のシェアが1%から2%になると、桶の需要が生まれ、桶づくりの職人も養成できます。そして、技術が残っていく。しかも、最近は大手の醤油メーカーが木樽仕込みの醤油を出し始めたんです。私は、こうした動きを歓迎しています。みんなが木桶の良さを分かってくれると、市場を大きくできるじゃないですか。そうすれば、昔から、真面目に醤油づくりをしてきた醤油屋の価値も分かってもらえる。
相馬: なるほど。関心が高まると、実際に現場を見に行きたいと思うんですが、もろみ蔵を見せてくれる醤油屋さんって、あまり多くないです。でも、ヤマロク醤油は本当にオープンですよね。そんなに出入りがあって大丈夫なんですか?
山本: 心配されることも多いですが、人の菌が仕込み中の醤油に影響を与えるということはないんです。いろんな菌が蔵に持ち込まれても、醤油自体が強い菌を持っているので、それに負けることはありません。だから、うちはオープンにしています。醤油が発酵する時って、プチプチと音がするんですけど、お客さんが見学に来ると、発酵の音が大きく、早くなるんです。菌は、人が来ていることを分かるんですね。しかも、女性が来た方が反応がよくて、発酵も進む(笑)。
相馬: あっははは(笑)。だから、いつでも来てくださいっていうスタンスなんですね。見学に行くと、もう、飛び込めるほど近い距離で桶の中をのぞき込める。迫力があるし、時間の厚みをものすごく感じるんです。醤油の蔵を実際に訪れるお客さんってどういう人たちなんですか ?
山本: 立地が良くない分、どうしても行きたいという強い興味を持っている方々が多いです。わざわざレンタカーを借りて来てくださる海外の方も増えています。蔵をオープンにする醤油屋さんが増えれば、直販の機会も増えるので、新桶を入れても費用を回収するまでの時間が短くなる。すべては、桶に結びつくんです。今、私がやろうとしているのは、10年で新桶の費用を償却できる仕組みをつくること。 200万円の桶を10年で償却できる仕組みごとを、蔵元に販売しないといけないと思っています。
相馬: なるほど。
山本: 2015年1月に新桶をつくった時、醤油の蔵元さんに新桶を納品するという告知をメディアに流してもらったんです。すると、納品日にはメディアが何社も取材に来た。
相馬: 100年に数回しかない、貴重なことですもんね。
山本: 地元でかなり話題になって、その後、仕込みをする日、醤油ができ上がる日、その度に告知をしたら、評判だけじゃなく、直売所で醤油がたくさん売れたというんです。ここの醤油蔵さんは、新桶代をもう回収したと言ってました。こんなふうに、売るシステムも一緒に考える。これを各地方でやっていくと、各地の地方メディアが、地元に向けて発信してくれるんですよね。
相馬: 木桶に対する地元の関心も高まりますね。昔と違う状況を受け止めて、これからも続けていける仕組みをつくっていくというのが大切ですよね。山本さんは、ものづくりの周辺の環境までもつくっているというのがすごいです。
【 やるかやらないかの基準は、やってオモロいかどうか。 】
相馬: 僕たちはこの展覧会を通して、商品をつくるだけでなく、自分たちの地域のため、産業のために、活動している生産者が各地にたくさんいるということを知りました。特に、ヤマロク醤油の取り組みは、知れば知るほど奥深く、驚くことばかりです。
山本: うちは、何かやらないと絶滅してしまうので、切羽詰まって必死でやってます。でも、やってると面白いもんなんですよ。醤油屋を始めるときには、まさかこんなことまでするとは思ってませんでしたが。仲間の大工も「家より桶をつくる方が面白い」と言っています。今の家って直線ばっかりなんですが、桶は曲線ばっかりで難しいんです。難しいことって、やってて楽しいんですよ。
相馬: 面白い世界が広がっているんですね。
山本: 竹を編んで、桶が組み上がっていく時の感動って、これ以上のことはない。バラバラの板が組み合わさって、丸い桶になっていく。そして、最後に水を張ったときに、一滴も漏れなかった瞬間。もう、あのうれしさと言ったら! みんなで竹のたがの中に入って、写真を撮ったりするんです。
相馬: うわー、たまんないですね。
山本: 各地から集まった桶仲間って、その時は初対面なんですけど、後で仲間の蔵を巡ったりしてるんです。共感して集まった者同士なので、楽しんでいるうちに、人の輪が自然と広がると思うんです。私もいろんなことをやっているんですけど、やるかやらないかの基準は、やってオモロいかどうか。「これ、やったら大変やけど、面白いだろうなぁ」と思うことをやるようにしています。面白いことだからこそ、一歩踏み出せるし、長く続くんですよ。
相馬: きっと、山本さんが面白がっているから、その活動に参加したいと思って、一緒に桶を組みに、 わざわざ小豆島まで足を運ぶというのが広がっていくのでしょうね。
INTERVIEW 後編 了
山本康夫(やまもと・やすお)
ヤマロク醤油 五代目。1972年、小豆島生まれ。大学卒業後、佃煮メーカーの営業職を経て、小豆島にUターン。家業のヤマロク醤油を継いだ。毎年1月、仲間と木桶づくりに励んでいる。新桶には、息子2人の名前を刻印し、子や孫の世代まで受け継がれる醤油づくりを実践。もろみ蔵を公開し、木桶仕込みの魅力を小豆島から伝えている。
yama-roku.net
相馬夕輝(あいま・ゆうき)
D&DEPARTMENT PROJECT 代表取締役社長、d47食堂ディレクター。 1980年、滋賀県生まれ。2003年 D&DEPARTMENT PROJECTに参加。 大阪・東京店店長の後、2009年より代表取締役社長。d47食堂のディレクターとして、各地の生産者を取材、伝統料理や旬の食材を実際に味わい、収穫や漁にも同行、その県を丸ごと味わえる定食を、料理人とともに開発。
www.d-department.com
d47食堂に木桶がやってきた!
今回お話を伺った山本さんが中心となって取り組む「木桶職人復活プロジェクト」。そこでつくられた新桶を、特別に展示しています。
期間:2016年2月4日(木)~3月6日(日)
〈レポート〉ヤマロク醤油の「木桶職人復活プロジェクト」も、ぜひご覧ください。