129:ニーチェアとは何か

日本人デザイナー新居猛(にいたけし)によって生み出されれ、1970年に発売された「ニーチェアエックス」2014年から、それまで製造していた「ニィファニチャー」から経営を継承し、株式会社藤栄が「ニーチェア」の名付け親である島崎信さんの監修を受けながら、製造販売を行なっている日本を代表する名作椅子ですが、僕はずっとこの椅子の魅力を自分の店頭でお客さんにうまく表現し伝えきれないまま今まできました。

簡単に言うと「家具」ではないなぁと思うのと「キャンプ用品」でもないなぁと言うことで、使ってもいるのでその良さは当然わかるのですが、家に持ち込もうとするときの違和感があって、それが何なのか、ずっとわからなかったのでした。家具は配置する場所と明確な用途があります。本棚もテーブルもそれがある。明確な用途があるので、明確な必要性がある。食事をしたり仕事をするために机やテーブルは必要ですが、ニーチェアはちょっと違っていて、設置する場所が自由(決まっていない)ことと、座ることには椅子なのではっきりと用途はありますが、設置する場所が自由ということで、いわゆる椅子の概念からそれます。いわゆる椅子の前には明確に「テレビ」とか「テーブル」とか家での決まった役割がありますが、ニーチェアにはそれが決まっていない。決まっていないことの「良さ」を伝えるのは、実は意外と難解で、家具として説明出来ない。そうなるとなんか「なくてもいい贅沢品」になってしまったりします。この固定概念のようなものを打破するには、「自由な生活」の感覚が必要で、例えばお客さんでニーチェアとハンモックで家のリビングを構成している人がいて、食卓テーブルの横のそのスペースはかなり自由で、しかも、ニーチェアは持ち運べるので、しょっちゅう外に出したり車に積まれたり、また、折りたたんでしまえばリビングは一瞬で広い何にもないスペースとなり、結果、泊まりに来た友人の寝室になったりします。要するにいわゆる家具は、リビングを寝室にはなかなか出来ないし、そこに鎮座することで固有のスタイルを作る。
おそらく、ニーチェアを持っている人は、いわゆるリビングでソファに座る人の「座る」時間が全然長いと思うのです。要するに「座る」を家から持ち出せるからです。

ニーチェアの難解点のもう一つは「座り心地がいい」ということです。いわゆるキャンプ用品の椅子は、同じ機能性を持ちながら「家具のソファ」のような「座り心地」がありません。「キャンプの椅子にしては、座り心地がいいな」というキャンプの椅子はありますが、当然ですが、キャンプが終わって自宅のリビングに移動して家具のように座ってテレビを観れるか(観たいか)というと、それは難しいのです。

つらつらと書きましたが、先日の「ニーチェア勉強会」で「道具」という言葉が出ました。もちろんニーチェアを扱う藤栄さんたちは、このキーワードはよく使われていると思いますが、改めて「自転車のような道具」(デザインした新居さんの言葉)と言われて、ハッとしました。その通りだなと。自宅の家具を「道具」と呼ぶ。この難解さがニーチェアを接客するときの難解さであり、同時に他の家具にはない圧倒的な存在理由です。自宅で「道具」と言えばキッチン用品をすぐに思い出します。鍋や包丁など、それ自体を手入れして何かを作り生み出すもの。そんな中でも例えば「無水鍋」に代表されるキッチン道具のありようには、使う側の「工夫」や、それを手入れする「愛情」のようなものが注げる。「道具」とは、愛情を注げる「何かを生み出すもの」と言えて、まさにニーチェアは家のいわゆる家具の椅子には出来ないそんな「道具」の素養があります。手入れして使い続け、人生の豊かな時間を作り出す道具。
店頭にいてニーチェアを接客して欲しいと思ってもらうためには、まずはこの「自由な生活」への関心、興味がなければ購入には至りません。どんなに座り心地を試してもらえたとしても、ニーチェアが自宅に来ることで生まれる自由さ、豊かな思いは、なかなか言葉では表現できず、結局、その価値観にたどり着いた人だけが、自身の人生においての重要な「道具」として購入し、その日から新しいメガネを、自転車を、キッチン道具を手に入れたように、新しい時間の使い方、新しいものを見る価値観を手に入れるのです。そこに気づくまでの人にとっては、どこまで熱弁しても「折りたたみ椅子」という特に今の生活に必要のない贅沢なものとなり続けるでしょう。

ニーチェアに座ると「ある屋外の清々しさを思い出させてくれる」とも言われています。これまでの普通の家具の生活にはなかったもの。もしも、この椅子が座り心地が良くなかったら、この存在はとても説明しやすいのですが・・・・・。ソファ以上の座り心地を軽く持ち運べ、折りたためる。車に積んで移動できて、修理して長く使い続けられる椅子。それがニーチェアです。