d47 MUSEUM 企画展「Fermentation Tourism Nippon 発酵から再発見する日本の旅」の公式書籍。
2018年夏、発酵デザイナーの小倉ヒラクさんは、日本の発酵文化をリサーチする、8か月間の旅に出ました。
本書は、小倉さんが47都道府県の山・海・島・街を巡って、酒・味噌・醤油はもちろん、知られざる発酵の現場を取材した記録です。
発酵食品は、その土地の味覚や暮らしの記憶が保存されたアーカイブ。
多種多様な日本の発酵食と、それらが生まれた背景を、疾走感ある文章で紹介しています。
例:イモに千の手間をかける、島のサバイバル食品「せん団子」
捕鯨一族が生んだ発酵珍味
謎の発酵くずもち
火山島の野生菌の焼酎
ほか
全国発売:2019年5月24日
●著者 小倉ヒラク
1983年生まれ。「見えない菌の働きを、デザインを通してみえるようにする」ことを目指し、東京農業大学醸造学科研究生として発酵を学びつつ、全国の醸造家や研究者たちと発酵・微生物をテーマにしたプロジェクトを展開。アニメ「手前みそのうた」でグッドデザイン賞2014授賞。著書に『発酵文化人類学』(木楽舎刊 2017年)。
hirakuogura.com
『日本発酵紀行』まえがき
木々が葉を落とし、土や水のなかの生命が息を潜める季節、町外れの蔵からプツ…プツ…と小さな音が聴こえてくる。桶や樽のなかで微生物たちが活動を始めた音だ。川が凍りつくほどの寒さのなか、蔵ではたらく醸造家たちは上着を脱いで狭い室(むろ)に入っていく。
室のドアを開けると、じっとり湿った蒸気と甘い栗のような香りが押し寄せてくる。室の真ん中には底の浅いプールのような長い箱があり、そこには白く靄(もや)がかかったような米が寝かされている。米についている靄は、カビだ。毒を出さず、人間に有用な成分をつくってくれるニホンコウジカビという不思議な微生物。室に充満する熱と香りは、米を食べて爆発的に増殖していくこのカビから発せられるものだ。
人間たちは米粒を両腕を使ってかきまぜ、ばらし、曲芸のように米粒を底からすくって噴水のように空中に巻き上げていく。このように撹拌することでカビが呼吸するために必要な酸素を送り込み、火傷させないように適度に放熱させていく。手入れ作業が終わると、醸造家たちはじっとカビの茂った米、麹(こうじ)を見つめる。
「とてもいい。すごく元気に育っている」
「湿度はこのままでいいかな?」
「あと数%だけ乾かそう」
彼らは手を通して、鼻を通してカビたちと対話をしているのだ。室から出ると、醸造家たちは階段を登って冷たく乾いた踊り場のような場所へ移る。そこには小さなタンクが規則正しく並べられている。タンクでは、ベージュ色のペーストに無数の小さな泡が浮き上がり、プツ…プツ…と音を立てている。
このペーストは室でコウジカビをつけた麹と米を水と混ぜ合わせたもの。泡を立てているのは酵母。カビが米を食べた時に分解した糖分をエサにして大量のガスを放出する。ガスは麹ペーストに含まれるタンパク質や脂質の薄い膜に包まれて気泡となってふくらみ、爆(は)ぜ、そのバブルの底で酒の材料となるアルコールが生成されていく。
ここは淡路島の日本酒蔵、都美人。?朝の5時、都会の人たちが眠りこけている(あるいはようやく寝床につく)時間に蔵人たちの仕事が始まる。米を洗い、蒸し、室に運び、カビの手入れをし、タンクに酒の?(もと)を仕込み…と、1日かけて微生物たちの世話をするのだ。まだ日の昇る前のしんとした空気のなか、人間たちが寡黙に作業をこなしていく。
誰の声も聴こえないはずなのに、蔵のなかには不思議な賑やかさがある。目に見えない微生物たちが刻一刻とその数を増やし、麹室(こうじむろ)やタンクのなかでさざめいている。蔵人たちは耳を澄まし、じっと彼らの声に耳を傾ける。目に見えない、耳にも聴こえないミクロの対話。
やがて朝焼けが蔵を照らし、学校へ向かう子どもたちの声が遠くから聴こえてくる。人間の時間が始まった。
(以下略)